RURUTIA

RURUTIA

ルルティア的艺人档案 小档案 ルルティアは、日本の女性シンガーソングライター・作曲家。CRAFTSMAN MUSIC所属。英語表記はRURUTIA。 小简介 デビュー以来、本名・生年月日・出身地など、ほぼ全てのプロフィールは非公開とされている。東芝EMI在籍時代はマスメディアに自ら登場することは皆無に等しかったが、インディーズ独立後はオフィシャルサイトでのインターネットラジオ『RURUTIA Planet』の放送や写真付インタビューの掲載、更に音楽雑誌へのインタビューの掲載など、徐々に素顔が垣間見られるようになってきている。 『RURUTIA Planet』によると、アーティスト名は自身の洗礼名に由来するという。なお、東芝EMI在籍時のプロフィールでは「タヒチ語で『恵みの雨』という意味」と言われていたが、実際は「雨が降る」という意味の単語に由来しており(タヒチ地方では降水量が少ないため、雨が降るということは恵みであるとして認識されている)、「ルルティア」と発音する語は存在しない。 音楽を始めたのは幼い頃にクラシックピアノを習ったことがきっかけである。なお、ピアノ(もしくはキーボード)の演奏は全ての楽曲において自身が演奏しており、また楽曲「シャイン」のPVにおいても自身で演奏しているシーンがある。自身で楽曲制作を始めるきっかけとなったのは学生時代に友人の自殺に大きな衝撃を受けたことであると、『RURUTIA Planet』にて明らかにしている。またキリスト教徒であるため、グレゴリオ聖歌からも影響を受けたと公言している。 作詞作曲の他にも、シンセサイザーやミュージックシーケンサーなどを使用して編曲やプログラミング等も手掛けており、クリエイター的な要素も兼ね備えている。DTMや打ち込みに関する知識を得たのはデビュー以前で、DAWはLogicを、ソフトシンセはSampleTank2、Atomosphere、Trilogi、Stylus等を、それぞれ使用していると公言している。この能力を買われ、2004年放送のラジオドラマ『ラッセ・ハルストレムがうまく言えない』や2005年公開の映画『楳図かずお 恐怖劇場』では、自身の楽曲をモチーフに劇中の音楽を担当した。 独特の歌唱法はいわゆるウィスパーボイス系のアーティストに分類される。楽曲はファンのみならず数々の映像作家や映画監督にも大きな影響を与えており、これまでに自身の曲をモチーフにラジオドラマや映像作品等が複数作られている 大事件 東芝EMIに持ち込んだデモテープがきっかけとなり、デビューが決定する。 2001年 10月6日、シングル『愛し子よ』でデビュー。 12月6日、2枚目のシングル『ロスト バタフライ』を発売。FM各局で多数のパワープレイを獲得し、FM局オンエアチャートでは、当時チャート1位を記録していた宇多田ヒカルの「traveling」を抜いて、新人としては異例の1位を記録した。無料配布CDも作られ、CDの発売前後にHMV各店にて配布された。 2002年 3月6日、初のアルバム『R°』を発売。 6月、自身の楽曲の世界観を基に制作されたラジオドラマ『恵みの島〜星のつぶやき』が放送される。 2003年 1月、所属マネジメント事務所をMS Artists ProductsからDima&Marshaへ移籍する。 10月29日、6枚目のシングル『トロイメライ』を発売。初のアニメ主題歌に起用される。 2005年 6月22日、サウンドトラックアルバム『楳図かずお恐怖劇場 ルルティア・トラックス』を発売。これをもって東芝EMIとの契約を終了する。 8月、自身のレーベルであるPHOERIX RECORDSを設立し、インディーズに活動の場を移す。 11月21日、8枚目のシングル『スピネル』を発売。インディーズ移籍第1弾作品となる。 2006年 5月8日刊行の音楽情報誌『プレザンテ』第3号においてインタビュー掲載と付録CDのサンプル楽曲が収録される。これにより初の大衆メディアへの露出を果たす。 11月5日、インディーズ移籍後初となる5枚目のアルバム『Chorion』を発売。リリース記念として初の動画によるインタビューがオフィシャルサイトで公開される。 2007年 6月27日、本人がかねてより制作していたいと公言していたバラードミニアルバム『Opus』をリリース。ブックレットのアートデザインを、グラフィックデザイナーとの共同制作により初めて自身が担当する。 2008年 3月22日公開の映画『口裂け女2』のオープニングテーマにスキャットボーカルとして参加。...